ローカルとグローバル,ミクロとマクロ
よく使われる言葉だが,あいまいな言葉はたくさんある。
「ローカルとグローバル」,「ミクロとマクロ」これも結構あいまいだと思う。
グローバル,ミクロの曖昧さはそれほどでもないのかなと個人的には思う。
これらの言葉は,個人のスケール感に依存する。
僕にとってローカルとは,どんなに大きくても都道府県スケールだが,ある人にとっては市町村スケールかもしれないし,東アジアスケールもローカルという人もいるかもしれない。
「マクロ」これもかなり曖昧である。
指示語であるが,なにを指しているのか曖昧というのが厄介。
ある現象を見る上で,相対的にスケールが大きいものを見ているということ?
研究では,ローカルを対象とするものはグローバルを対象としている方々に見下されている感がある。
ローカルを対象としている人の劣等感では?と考えられなくもないが,おそらく下位のものという感はあるはずだ。
対象とする現象や分野によって,スケール感には確実に差がある。
僕のスケールに対する考え方はこうである。
世界はミクロな現象(真理)の集合体として形成されており,普段見ている世界はそれらが積分されたマクロなものである。グローバルはローカルの集合体,ローカルはミクロな現象の集合体,グローバルはミクロな現象の集合体である。
何かの現象を研究・追求するという点においては,ローカルもグローバルも関係ないと思う。
根っ子は一緒のはず。根っ子が大切。