「成金」の坊ちゃま・お嬢様
謙虚であるということと,受身であるということはぜんぜん違う。
謙虚な姿勢とは,相手の意見を尊重し,受け入れること。
個人的には,常に相手のことを考えることができ,心に余裕がある姿勢だと思う。
今朝の報道番組で,新入社員が入社後もう辞めたいみたいな報道があった。
こんな情報があればいつも「ゆとり」なんていわれる。
最近思うのは,これらはおそらく「ゆとり」世代が受けてきた教育だけに起因する問題ではないということ。
親の世代の謙虚さの希薄さ。
加えて,世の中に出回る情報量が昔よりも格段に増え,加えてそれらの情報を簡単に手に入れられる状況。
そしてそれを噛み砕く力のなさ。
これらに起因している気がする。
いわゆる「ゆとり」世代の問題みたいなものは日本人に限らず,世界中の同世代に共通の問題となっていると思う。
世界の「若者」共通の「世代」のもつ特性みたいものが生まれているのでは?
ゆとり世代の中でも,物心ついたころにはバブルが崩壊していた人たちは,さとり世代とも呼ばれている。
日本の学校でもテストの成績が2こぶラクダのようになったりしているが,実はこれも世界共通の問題なのかもしれない。
これは,真ん中の能力の人がいなくなったというよりも,より能力の「差」がつきやすくなっているということが背景にありそうだ。
今の世代を批判しても仕方ない。
批判されるべきは,その親の世代。
その世代に多くの問題があるのは間違えない。
モンスターペアレントと呼ばれ始めたのはどの世代だ?
可愛そうなことにその子供たちは親を選べない。
その子供たちは,求めずとも与えられることに慣れ,無意識のうちに受身の姿勢が身についているのではないか?
受身の姿勢が身についてしまうと,考えることが億劫になる。
困難や課題に直面しても,「誰かが助けてくれる,やってくれる,勝手に解決するだろう」と,他人任せになりがちだ。
そして,「やってくれて当たり前」という心が気づかぬうちに芽生え,謙虚な心や報恩の姿勢,感謝の念が希薄化するという悪循環に陥ってしまう。
みんな「成金」の,坊ちゃま,お嬢様になってはいないか?
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは成金の性質についてこういっている。
その性格を一言で言えば、幸運に恵まれた愚か者の性格である。
良いものをすべて持っている気になっているために、傲岸不遜である。
金がすべての評価の基準になっている。
自分好みのものに囲まれて生活しているため、他人が別の好みを持っていることを忘れる。
金持ちであることの心得がまだできていないために、金持ちであることにつきものの欠点を古くからの金持ちよりもっと悪い形で持っている。
なるほど。
社会が豊かになっている(本当か?)といわれるなか,それを享受できる精神的態度が求められている。